• ゆうゆう
本当の豊かさを求めて

豊かさとは何なのか・・・
それぞれに感じる『豊かさ』の定義は違います。経済的、物質的など誰からの目にも見えやすい豊かさもあれば、経験や心の豊かさなど他者の目からでは見えにくいものもあります。

社会福祉法人ゆうゆうは、子どもたち1人ひとりに日々の豊かな暮らしを保証していきたいと考え、子どもたちの過ごす環境を整えています。私たちの考える豊かさとは、決してお金や物だけに翻弄されるものではありません。便利さを追求していく昨今の社会の流れの中で、子どもたちの生きる力を育むために何を残すべきなのかを本気で考え、暮らしの中に意図的にいわゆる“不便さ”を残しているものもあります。

例えば、水道。様々な商業施設や家庭において、自動あるいはレバー1つで簡単に調整された温度の水が出るものが普及しています。水量も調整されて出てくるものもあり、小さな子どもでも扱いやすいです。水道を見ると反射的に手を差し出し、自動で水が出てくるのを待つ子どもの姿も増えてきているのを感じます。これで本当に水の豊かさを感じられるのでしょうか?
すみよし愛児園の水道は、蛇口をひねり水を出すものをあえて取り入れています。確かに小さいうちは自分で水を出すことが難しいこともあります。大人や自分よりも大きい子が蛇口をひねる様子を見ながら、“いつかは自分も”という気持ちを膨らませていきます。蛇口のひねり方で、水の出る量や勢いが変化することに子どもたちは気付いていきます。勢いよく出し過ぎて服を濡らすこともあります。それを無駄なことと捉えるのか・・・私たちはその服を濡らす経験こそが豊かさであると考えます。そうして水の量を調整することを子どもたちは学んでいくのです。
水道から出る水も、季節問わず真水です。夏は水の心地良さを感じられ、冬には水の刺すような冷たさに直面します。これが、四季がはっきりと感じられる日本においての自然の摂理です。季節によって水の温度が違うこと、感じ方が違うことを学んでいきます。常に心地良い温度に設定された水が出てくるのでは、四季によって変化があることに触れることは出来ません。

園庭の木々も、そこに集まる様々な生き物も同じです。生き生きと枝を伸ばし、葉を茂らせてくれるから園庭に木陰が出来ます。同じように木々が元気に生きているからこそ、蝶や蝉が集まり、毛虫が葉に付きます。その毛虫を求めて、鳥たちが集まってきます。人間が手を加えなくても、自然の摂理によりバランスが保たれることがあります。蜂は飲み水や花の蜜を求め、園庭にやって来ます。毛虫や蜂は関わり方を知らなければ危険が伴いますが、蝶や蝉は喜んで追いかけ、毛虫や蜂は危ないからと駆除するでは、矛盾が生じてしまいます。大切なのは、何が危険なのかを知ること、その危険なものとどのように関わって生活をしていくのかを、大人の姿を見ながら学んでいくことです。全てが安全に管理され、無駄なものや不便なものが排除された環境の中では、その場の生活は保たれていたとしても、これから子どもたちが羽ばたいていく広い世界において自らの身の守り方を知らずに生きていくことになってしまいます。

子どもたちの安全で清潔な生活空間を保証していくことを大切にしていく中でも、子どもたちが五感を働かせながら、自らの生活の仕方を考え、暮らしを紡いでいく力を育む環境や空間も同じように大切にしています。子どもたちの目線の先には、大人では気付かない発見や驚きで溢れています。園庭の木々が作り出す木漏れ日の動きに目を奪われ、姿は捉えられなくても聴こえる虫の声に耳を澄ませ、流れてくるごはんの匂いに自らの空腹を感じ、その不思議さや喜びを様々な人と共有しながら生活をしています。子どもたちの感じている世界を、大人の価値観により奪うことなく、大人がその世界を大切に守り抜いていく覚悟をもって、これからも子どもたちの過ごす環境を整えていきたいです。